小説家ではない編集者、芸術家ではないデザイナー

 

 

この記事、書き始めてからかなり時間が経っていたようで、おそらく書き始めてから半年くらいは経っていると思う…。思い出しては書き、消し、書き…こんなに経ってしまったけれど、なんだかどうしても残しておきたい気持ちがあったので、少しだけ文章を整えて残そう。

 

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常々思うこと。

「編集者は小説家ではない。」

 

編集者になって早数年。私が文章を書く時によく思うのが冒頭の考えだ。

今回は編集というよりはライターやライティング寄りの話。

私が働いている会社の仕事の多くはグルメ系やおでかけ情報がほとんどを占めている。いわゆる情報誌だ。情報誌はどのジャンルにおいても、読者に情報をわかりやすく伝えられるように書くことが大切である。もちろん、正しい情報を書くのは当たり前(誤字脱字はもちろん、情報の誤りなんてもってのほか!)。情報を正しく且つ読みやすい文章にし、そこにプラスされるのが、どこか魅かれる言い回しだったり言葉だったりするのだと思う。そのプラスαがあるから読者が読みたくなるような記事になるのではないのか、と。

 

流行ワードや攻めの姿勢がうかがえるような言い回しなど…。特にタイトルやキャッチコピーは、その本あるいは特集の顔なので、引きのある言葉にしようと書き手は非常に頭を悩ませるものだと思う。

(詳しくは分からないが、広告業界においても、この手の話は理解してもらえるのではないですかね…というかクリエイティブ業界ならあるあるというか日常茶飯事か?)

(話を戻して。)もちろん、本文も読者に魅力を存分に伝えるために頭を悩ませながら書いている。私は。というかみんなそうだろう。

しかし、ここで思い出さなければいけないのは、情報誌において書き手(編集者、ライター)はあくまでも第三者目線で文章を書かなければいけないということ。ジャンルによるかもしれないが、ほとんどの情報誌は第三者目線のフラットなで文章で構成されているものがほとんどだと思う…一部を除いて(「●●してみた」といった体験系やインタビュー記事はこの類ではないが)。

 

情報誌において正確にわかりやすく物事を伝えることが第一なはずなのに、変に気合を入れ過ぎてしまうと、こねくり回したような文章にしてしまうことが私自身ままあった。そう、迷走した文章の爆誕である。まぁそうならないように、常に「事実」を「分かりやすい文章」になるようにするんですけどね。

あと、5年も同じ会社で同じような仕事をしていると後輩の原稿をチェックするなんて機会は山のようにあるわけで。やはり最初はみんな肩に力が入ったような謎の言い回しを使いたがるな~と思いながら原稿に指摘をしていた。たまに(嘘。かなりの頻度で)本当に四大卒かなと疑うレベルの内容もよくあった。全部書き直した方が早い文章もたくさんあったし、実際自分で書き直したこともたくさんあった。まぁ弊社は未経験者しか採用しない謎の会社だったのでしょうがなかったといえばそれまで…いやしょうがなくないわ。弊社に関しては追々記事を書きたいなと思っている。いずれ。近いうちに。

 

シンプルに、わかりやすく、でも、目を引くような鋭さって、本当に大切だ。

編集者やライターは小説家ではないけれど、人の心を惹きつけるための工夫は惜しんではいけないと思っている。

 

 

対して、デザインについて思うこと。

ここで私がしたい話はあくまで雑誌の誌面上のデザインの話であると前置きしておく。

 

「デザイナーは大きく分けると2種類のパターンがある」というのは弊社に長く勤めているデザイナーから聞いた言葉だが、その方曰く「アーティストタイプ」と「ビジネスマンタイプ」に分かれるそうだ。前者は感覚やセンスでデザインし、後者は分析と理屈でデザインをする。どちらもプロのデザイナーなので納期は守るが、完成に至るまで前者は自分が納得するまでこだわり、後者は妥協することを理解している…というのがその方の持論だそうだ。

周りに迷惑をかけず、きちんと利益を出せば別にどんなタイプの人間がいてもいいと私は思うが、弊社では前者の人間をことごとく悪としていたように思えるな…今になってふと考えると…。

 

正直、今考えてみても、某デザイナーの言葉だけだとどちらが良いデザイナーかは個人的に判断できない。だって、仕事である以上妥協しないで良いものを作れよと思うんだけど。

作業時間やデザイナーのレベルを考えて「妥協」するのって、プロとしてどうなんだろう。お金をもらってプロとして仕事をしているのなら、時間もレベルも考えられなければいけないと思うんだけど。当たり前なのではないのかな…。

 

もちろん、デザインにというか、文章も含め、「表現の世界」や「クリエイティブ」に100%の正解はない。けれど、限りなく100%に近いというか、人の心に響く「効果的なもの」を生み出すことは可能なはずだ。文章だったら相応しい言葉、構成、デザインだったら色やフォント、配置など…。正解に近付くための試行錯誤は必要だし、その試行錯誤を決められた時間内にやって良いものを生み出すのがクリエイティブの世界にいる人間の使命であり、プロとして当然の考えだと私は思う。

 

アーティストではないけれど、アーティストじゃないからこだわらないのはクリエイティブの世界にいるのに仕事を放棄していると思うし、妥協も必要という言葉で逃げていているだけだと思っている。理想論とか、とはいえそんなことを言っても仕事は次々と来るし…とかなんとかどこぞの弊社に言われたことがあるが、そんなの全部言い訳だ。

 

本当にクリエイティブの世界にいるなら、プロなら、お金をもらっているなら、それくらいのことは普通だし当たり前のことだと思う。

なんだか、かなりレベルが低い話だけど忘れちゃいけないなと思って加筆修正してこの文章を残しておこうと思った。かなり今更だな~と思ったけれど、忘れちゃいけない。